こんにちは✿
みなさんは、まわりと自分を比較する方ですか?
私はまわりと比較することが多く、それで一喜一憂することが多いです(^^;)
特に劣等感が強いHSPは人と比べてしまいがちなのかなと思います。
そこで、
- なぜ人は比較してしまうのか
- 合理的に比較する方法
を私なりに考えました!
というわけで、今回のブログのテーマは「HSPが上手くまわりと比較する方法」についてです!
HSPとは?

HSPは、Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)の略称です。なんだか病名のように聞こえるかもしれませんが、これは遺伝子的に生まれ持った気質のことで、アメリカの心理学者であるエレイン・N・アーロン博士が提唱した心理学的概念です。
生まれつき「非常に繊細な人」「敏感な人」「感受性が強い人」などという意味です。
全人口の約5人に1人はこのHSPに当てはまっているそうです。
HSPについてまとめた記事もあるので、興味がある方はぜひ。
HSP関連の本はこちらから。
なぜ他人と比較してしまうのか?

私が思う他人と比較してしまう原因を考えてみました。
受けてきた教育が原因で順位付けが癖になる
多くの人が小さい頃から受けてきた教育の中で順位付けを経験します。
- 学校の成績表
- スポーツの競技会
- その人の能力や人柄
などでの優劣は明確で、常に自分と他人との比較にさらされながら育ちます。

特に日本の教育システムでは、テストの点数や順位が強調されるから、成功や失敗が他者との比較によって判断されがちだよね。
このような環境で育つと、自然に他人と自分を比較する習慣が身につき、自己評価が他者基準になりやすくなると思います。
理想的な映像を発信するメディアの影響
まわりと比較する原因の1つには、テレビや雑誌などのメディアの影響もあると思います。
メディアが発信した理想的な成功のイメージを視聴者は目標にします。
例えば、
成功したビジネスマン(ビジネスウーマン)の映像を見る → 無意識のうちに自分の生活と比較して不満を感じる
などがあります。
メディアが発信する映像は、「現実ではない理想像だ」と思ってはいるものの、

なぜ自分はあのようになれないんだ…。
と頭の片隅で思ってしまいます。メディアも評価を他者基準にしてしまう要因かなと思います。
SNS映えを意識しすぎること
X(エックス。旧Twitter)などのSNSを使用する投稿者は自分が一番映える瞬間を投稿します。(私のことです(笑))
それを見た人たちは他人の成功や幸せな瞬間を目にすることで、自分の日常が色あせて見えることがあります。
「いいね」や「フォロワー」の数が目に見えるため、それが自己評価の基準となりがちです。
例えば、友人が、
- 新しい仕事に就き、キャリアアップした
- 家族と恋人同士で旅行を楽しんでいる
などの写真を見たりすると、たとえ自分の生活とは無関係のことであっても、自分が置かれている現状に不満を感じてしまいます。
このような環境で生活していると、自己評価が他人依存になり、自己肯定感も低下しやすくなると思います。
HSPの特徴が原因の場合もある
HSPの特徴もまわりと比較する原因になると思います。
HSPは感受性が非常に高く、他人の感情や評価に敏感に反応します。他人軸になりやすいHSPは他人の成功や幸せを自分の基準として感じ取りやすいです。
例えば、友人が仕事で成功したり、素敵な恋人と過ごしている様子を見ると、それを自分の現状と比較してしまうことが多いです。
このような比較は、自己評価を低下させ、精神的なストレスを引き起こす原因となります。
比較をやめるための一般的な対処法

ポジティブな言葉で自分自身を励ます
毎日、自分に対して肯定的な言葉をかけることを習慣化します。
例えば、

自分は努力している!

私は価値のある存在だ!
といったポジティブな言葉を繰り返すことです。
自分の欠点や失敗を含めてありのままの自分を受け入れ、日常的に「私はそのままで十分だ」と自分に言い聞かせることで、自己評価を他人と比較せずに行うことができるようになります。

あと、自分に優しくすることも大事だよ。
困難な状況になったとしても自分を責めるのではなく、自分に優しくすることで自己肯定感が高まります。
小さな成功や達成を記録する
日記やブログなどに自分が達成した小さな成功体験を書き留めると、自分の成長や成果を視覚的に確認できます。達成可能な目標を設定し、それを達成することで自己評価も高くなります。
小さな目標から始め、達成するたびに自分を褒めることが大切です。
趣味や興味を追求する
自分が楽しめる趣味に時間を費やすことで、自己満足感を得ることができます。
これにより、他人と比較せずに自分の価値を感じることができます。
マインドフルネスの実践
マインドフルネスで現在の瞬間に注意を向ける練習も効果的です。
深呼吸や瞑想を通じて、今ここにいる自分を感じることができ、他人との比較から離れて、自分自身に集中することができます。
私が比較する場合は「公平な考え方」を基準にする

まわりと比べるにしても、比べ方を変えようという私なりの考え方があります。

そもそも人はみんな違う。違うんだから、同じように比べても意味がないよね。
という考え方です。
よく聞く「平等と公平」というやつですね。身長の違いを考慮して台を置いたり置かなかったりしながら野球観戦するイラストが有名ですね。
平等と公平の違い
「平等」と「公平」は似ているようですが全く違います。
それぞれの意味は、
●平等:全ての人を同じ基準にすること
●公平:個々の状況や必要に応じて適切に対応すること
です。
好ましくない表現かもしれませんが、そもそもの能力差を考慮して、「ハンデを与える」というのが公平の考え方です。
例えば、
「男女が腕相撲対決」
をするときのことを想像してください。
男性と女性では腕の筋肉量が全然違うので、ほとんどの場合は男性が勝ってしまいます。
「それぞれの状況を一切考慮しないで、普通に勝負する」、これが「平等」の考え方です。
今度は、「一般的なサラリーマン男性とスポーツ選手の女性」が対決した場合を考えてみます。
女性が勝つかもしれませんが、それでは「平等」ではありません。平等の考え方では、男女それぞれの条件は変えてはならず、女性だけをスポーツ選手にするのはなく、男性もスポーツ選手にします。この場合は、おそらく男性が勝ってしまうでしょう。
次は、「男性が利き腕ではない方の腕」を使って勝負する場合を考えてみます。
男女のどちらが勝つかわからなくなります。絶対に男性が勝つとは言い切れません。
これが「公平」の考え方です。
「平等ではなく公平の考え」でまわりと比較する
「公平の考え」を自分の考え方の土台にして比較すると、まわりの見え方が180度変わります。
悪い言い方をすると、「比較しても無駄だ」という良い意味で諦めるに至ると思います。

意外とスッキリしますよ(笑)
理由を具体例で説明します。
平均的な小学生の テスト結果 | テスト科目 ※同じ内容 | 平均的な大学生の テスト結果 |
---|---|---|
70点 | 国語 | 95点 |
75点 | 算数 | 95点 |
80点 | 英語 | 95点 |
この表のように、「平等」に対決したのなら、既に一定の学力を身に着けている大学生が勝つのは当然でしょう。小学生が「負けた。悔しい」と思うでしょうか?小学生の方が「天才小学生」なら悔しがるかもしれませんが、それでは条件が違うため平等ではありません。上の腕相撲対決のように、大学生の方も「天才大学生」とした場合、小学生はおそらく勝てないと思います。
ここで登場するのが「公平の考え」です。
大学生のテスト内容を一気に大学入試レベル(大学生が解くのにふさわしいレベル)まで引き上げます。
平均的な小学生の テスト結果 | テスト科目 ※別の内容 | 平均的な大学生の テスト結果 |
---|---|---|
70点 | 国語 | 65点 |
75点 | 算数 | 55点 |
80点 | 英語 | 45点 |
テストを年齢に応じた内容に変更する=「公平」に対決したのなら、この表のように、小学生でも勝つ可能性がありますよね。勝負の行方は努力次第です。
「平等の考え」の下では、単純にまわりと比較しても何の意味もありません。
私たちがまわりと比較して悩んでいる原因は「平等の考え」が前提にあるからではないでしょうか。
例えば、贅沢するかどうかにおいて、「両親が資産家の大金持ちの子ども」と「中流家庭の下に生まれた子ども」を平等に比較することに何か意味があると思いますか?

比較するにしても「公平な考え」が通じそうな分野で比較しないとね。
とある有名芸人の名言「成功 = 才能 × 努力」
既に芸能界を引退してしまいましたが、お笑い芸人だった島田紳助さんが成功の方程式について、
才能を5段階で評価し、努力も5段階で評価した上で、
「 成功 = 才能 × 努力 」だ。
と語っています。
私は「平等の考え」と「公平の考え」を考慮しても、うなづける部分があると感じました。
Aさん | Bさん | Cさん | Dさん | |
---|---|---|---|---|
才能 | 5 | 5 | 1 | 2 |
努力 | 5 | 1 | 5 | 2 |
結果 | 25 | 5 | 5 | 4 |
- Aさん:5 × 5 = 25
才能豊かで人一倍努力する人。 - Bさん:5 × 1 = 5
努力しない宝の持ち腐れ。 - Cさん:1 × 5 = 5
才能はないのに努力量はすごい。 - Dさん:2 × 2 = 4
才能も努力もほどほどにする人。
才能豊かで努力量が異常なAさんのような超人、例えば、MLB大谷翔平さんのような人と一般人を比較してもしょうがないです。
平均的な野球選手が「平等の考え」の下で、大谷翔平さんと勝負しても意味がないと思います。
私も含めてほとんどの人は、数値化したら「4」となる、ごく平凡なモデルDさんと同等かそれ以下になると思います。勝負事において、Dさんのような人が、Bさんのような才能はあるが全く努力しない人に勝てなかったり、才能はなさそうだが努力量がすごいCさんのような人に勝てなかったりするのは、このせいのような気がします。

まわりと比較して「あの人みたいになりたいな」と思ったら、一度自分を客観的に見てみると自分の立ち位置がわかるかもね。
ほどほどの努力しかしていないごく平凡な人「2 × 2 = 4」ならば、猛烈に努力すると「2 × 5 = 10」、つまり、今までの2倍以上の力を発揮できるかもしれません。
比較するなら昨日の自分
「公平の考え」の下では、数値化した時に「才能(才能に当たる分野)」が同じ人同士でないと意味がないのですが、他人の才能を数値化するなんてほぼ不可能だと思います。
ただし、自分を数値化することはできます。
なぜなら、昨日・今日・明日の「自分の才能は一定」だからです。才能が「3」の人は、昨日も今日も明日も才能だけは「3」です。
成功に近づくかどうか(比較したときの勝負)は「努力の量」で決まります。
「比較するのは昨日の自分。もしも昨日の自分に負けたなら、今日の自分の努力が足りないから」
このように考えることを癖づけると、他人と比較しないようになってくると思います。
まとめ:比較するなら「公平の考え」を前提にして努力を重ねる
というわけで、「HSPが上手くまわりと比較する方法」についてまとめました。
私の考えでしたが、共感していただけたでしょうか。
「平等」ではなく「公平」の考え方で比較する
よく「まわりと比較してはいけない」と言いますが、私にはそれが難しかったので、「全く比較しないでいよう!」から「比較の仕方を工夫しよう!」にシフトチェンジし、このような考えに至りました。
まわりと比べてしまって苦しいと感じている方の少しでも参考になれれば嬉しいです(*^^*)
ここまでブログを読んでくれてありがとうございます。
それでは✿
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